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コラム「地域は活性化すべきか」2012-02-21

「地域は活性化しないといけませんかねぇ」
ここのところ,そんなことを考えたり,口走ったりしています。すみません。

 なんか,一応,いわゆる農村活性化,むらづくり,を専門にしている私としては,活性化について研究したり,お話してきたこれまでのこと,自分自身のことを否定するような話ですが。

 地域活性化の議論や取組は,それはそれで素晴らしいと思っています。熱意やアイディア,行動力は,驚嘆するものばかりで,それらをいつも学ばせて頂きています。そしてその知見を少しでも整理したり,紹介させて頂く仕事も大切と思っています。ここは誤解があったらいけませんので強く言っておきます。

 でも,その一方で,全ての地域が活性化しないといけないかと言うと,そうじゃないようにも思うのです。同じように,一つの地域においても,いつも活性化していないといけないかと言われても。。
 いつもハイな人もおかしいし,「いつも明るく元気な・・・」って小学校の標語みたいですしね。良いときもあれば,悪いときもあるのが,深みや楽しみのように思っています。

 「住民主体」や「新しい公」もよくわかりますし,一般?に整理されているこれまでの議論,これからの方向性に異議もありませんが,最近どうも社会的に,おそらく無意識に,地域の活性化を強制しすぎているように感じてしまうのです。

 それは,TPPの議論がおこっているなか,日経新聞などが,企業的に成功している農業経営を盛んに取り上げていることと元を同じくします。そして大阪“都”の議論の元にある理屈も。

 私は,地域(コミュニティ)は,各家庭の延長上にあるという立場でいますが,嫌じゃないですか?,疲れて帰ってきて家でヤイヤイ言われるの。同じように地域でもヤイヤイ言われると疲れ果てます。もう少し余裕がある方が,包摂的である方が,いいと思うのです。

 とにかく,やるなら楽しみとしてやるべきで(使命感や責任感,「自己実現」?というのも含めて),“過剰に”義務や人から言われた責任でやるものでないです。しんどかったら止めたらいいし,世代的に任せるところは任せたらいいし,何もしなくても生活できることは当然,保証されるべきです。身の回りのことを外部化されることにより,仕事や生活に自由な時間が増えたのですから。行政も悪意があるわけでなく(時には,下心があるときもあるでしょうが),良かれと啓発活動をしていますが,それが地域のリーダーの立場にある方々に過剰な責任を負わせているところもありそうです。

 そういう意味においても,『撤退』も「活性化」も,同じようなスタンスに基づくと思うのです。行為の方向性が違うだけで。

 頑張ってる地域はすごい,そうでない地域も美しい。そして,何も変化ないように見える地域こそ実はいいのかも。人や景色も自然もゆっくり変化していいて,一見,なにも変化してないように見える。でも,たまのハレの場,消防団がやたら強かったり,ええ祭していたり。

 そのためのサポートや枠組みをどうすればいいのか,取り組むべき課題は沢山ありますが,そのあたりはまた次の機会に。

 というわけで,最近「地域活性化」で相談いただくと,がっかりさせて帰って頂くことになっているのかもしれません。
 第何次か知りませんが,「まちづくりブーム」らしいです。当面,「地域活性化」にちょっと疲れたときに,「しんどいねんけど・・」とか「話聞いてくれへん?」って声をかけて頂けるような保健室,ワンドのようになれるのが仕事かと思っています(キャラじゃないですが)。「まぁ適当にやりましょ」と言いながらも,具体的な抜け道を一緒に考えることが出来るよう,私も勉強を続けたいと思っています。まぁ適当に。

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